椎名林檎と東京事変
自他共に認める非常に飽きっぽい私ですが、
林檎姐さんのことは、
中学生でどハマりして以来変わらず大好きです。
「椎名林檎」がデビューしたてのころ、私はまだ小学生。
周りの友達と同じように、モー娘。やジャニーズなんかの流行りのアイドルが好きな、普通の小学生でした。
当時は、Mステのランキングでたまに「本能」のPVを目にする程度で、あまり意識することは無かったけれど、
ナース服カメラを睨みつけながら歌う姿からは、子供ながらにエネルギーを感じて、印象に残っていました。
そんなわたしが本格的にハマりだすのは、
中学生になってから。
音楽番組か何かの特集で、やはり「本能」が流れてたとき、「あれ?この曲すごいかっこいいじゃん??」と惹かれました。
とりあえず、レンタルショップで「本能」が収録されている「勝訴ストリップ」をレンタル。世界観に衝撃を受ける。
そこから、3部作である無罪や加爾基も聴き、ネットでファンページを漁りまくりました。
ちょうど近いタイミングで事変がデビューしたこともあり、お年玉で「教育」を購入して聴きまりました。
当時は、「椎名林檎」のドロドロした世界観が、癖になると同時になんだか怖くもあり、なんだかイケナイことをしているような後ろめたい気持ちがありました。
(とくに、加爾基のホラーな世界観は当時中2の私には理解不能で、2回だけ聴いてあとは見ないようにしていました 笑)
そんなこともあって、どちらかと言えば少しマイルドで、テクニックやセンスに重きを置いた事変のCDを、どちらかと言えば聴いていました。
そして、事変のアルバム2作目の「大人」。
「全体の印象はスマートだけど、程よくセクシーで刺激的。」な匙加減が、当時のお子ちゃまな私にはちょうど良かったらしく、
このアルバムをそれはもう擦り切れるまで聴きました。
「椎名林檎」と「東京事変」の違いについて、よく議論になりますが、
私なりに表現するならば、「本能」と「理性」という言葉がしっくり来る。
本能と理性が同時に1人の中にあるように、「椎名林檎」も「東京事変」も、彼女の中に同時に存在している一面なのではないかと思います。
日本を代表する、偉大なアーティストとなった林檎姐さん。
少女から女になり、母になる過程で、不安定な自己に揺れ、恋に焦がれ、劣情を吐き出し、愛情を注ぐ。
子供から若者、大人になる過程で、不安になったり、反抗したり、諦めたり、でも幸せを感じたり。
女として、人として、その一瞬一瞬を存分に味わい尽くした先に、いまの完全無欠な「椎名林檎」がいる気がする。